世の中には本当『しなくていい苦労』が山ほどある

先日の東京都の不要不急の外出の自粛要請があり、今日は日本全体、東京都に限らず外出は控えて過ごそうという雰囲気です。私も朝から家から一歩も出ておりません。家から出なくても家事や仕事関係のことの諸々、意外とやることはたくさんあるもので退屈だなぁと思えるもんでもないみたいです。

苦労は買ってでもしろという話をよく聞くのですが、本当は世の中には買ってまでしてはいけない苦労がたくさんあると思います。私の知っている中でもそうやって『苦労』に押し潰されてそのまま戻ってこられなかった人をたくさん知っています。よく年配の方に「最近の若いもんは…」なんてさすがに最近は聞くことはめっきりなくなったのですが、世代が自分より上の人のものさしで『苦労』を決めているとちょっとたいへんなことになると思います。例えば上司に言われエクセルで計算したデータを電卓であっているか確認させられる。ネタのような話ですが、「機械がまったく信用できない年配の人」は一定数確実にいるので似たような話はどこかしらで経験があると思います。

するべき苦労としなくてもいい苦労

そこでするべき苦労としなくてもいい苦労を仕分けてみたいと思います。まず、するべき苦労の一つは勉強や技術を身に着けることです。いくら機械が便利になったところで自分の能力が及ばなければそれは「猫に小判」「豚に真珠」と同じ状態です。義務教育があるのも最低限のことを身に着けるためでもありますよね。PCやスマートフォンがどれだけ処理能力が上がったところで人間の頭が空っぽではそれを活かすこともままなりません。これはするべき苦労といえると思います。

つづいてしなくてもいい苦労について考えてみます。例えば病気になるほど仕事や勉強をがんばる。これは先ほどの「するべき苦労」の内容に反しているようにも思えますが、考えてみてください。もし仕事のしすぎ、勉強のしすぎで身体をこわしたらどうでしょう?もしかすれば身体をこわした経験から新たな分野のことに興味が向く可能性は十分あるのですが、そのことを考えても身体をこわしてよかったという事は本来はないと思います。

先程の笑い話の例でいえば、エクセルを使いこなすためにPCスキルを上げようと練習するのは『するべき苦労』であり、機会を信用できない上司のために電卓で再計算させられるのは本来『しなくていい苦労』です。

手作業=愛情?

「しなくてもいい苦労」ではかなり前にSNSでこんな投稿がありました。


約2年前に話題になったTwitterの投稿です。愛情がないという理由で生徒にミシンを教えない家庭科の先生についてです。このすべて手縫いでやろうというものもはっきり言ってしなくていい苦労ですし、本来この先生が教えるべき「ミシンを使えるようになる」ことがするべき苦労です。世代によるところもありますが『手間=愛情』と鵜呑みにしている人は多いです。手間をかければそれでよしという価値観は絶対ではありません。もし周りに愛情や手間のかかる作業を異様に歓迎しているタイプの人がいるようだったら気をつけてください。

冷たいことを言う様ですが、痛い思いをしてやたら時間のかかった手縫いより、愛情がないだの言われたところで丈夫できれいに縫うためミシンを学ぶことのほうがよほど大事です。むしろ技術を身に着けてるほうが人間としては誠実ですし、押しつけがましく用意した愛情よりも喜ばれることだと思います。

もし「しなくてもいい苦労」に思い当ったら

世の中には本来しなくてもいい苦労がたくさんあります。今自分がしている、もしくはしければならない苦労がもしかしたらしなくてもいい苦労なのかもしれないと思ったら、まず一度考えてみてください。もし「これはするべき苦労ではないのでは…」と思う節があったらきちんと立ち止まってください。やり方を解決するのか、それとも相手に何か配慮してもらえれば解決するのか、ケースバイケースではありますが疑問を抱えたまま『苦労』に携わっていても遠くないうちに身体をこわしかねないのですから疑問がある以上はどれだけ考えてみても損はないはずです。

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