親が「ありがとう」を言えない人だったら

自分の子供に感謝を言えない親

私の両親もそういう人なのだが、自分の子供にだけは「ありがとう」と感謝の言葉を一切かけない親が多くいる。同様になにか間違いをしたとき自分の子供には「ごめんなさい」が言えない親も多い。不思議なことに仕事関係や赤の他人には感謝が出来るのに自分の子供にだけは「ありがとう」の一言が言えない。言いたくないのか、言うのが恥ずかしいのか、それとも子供に感謝をする概念がそもそもないのか理由は正直なところわからないが、もし自分の親が子供に「ありがとう」の一言も言えない人間だと分かった以上は接し方を考え直さないとならない。

 

「魂が殺されたようでした」と語る女性

昨日1月28日(火)NHK『ハートネットTV』にて障害者の詩の世界を特集していた。そのなかで自身の苦しみを吐き出すため詩を書き始めたという難聴の女性が印象的だったので少し話をする。その女性は9人きょうだいの長女として生まれ、怒りっぽい父親に怯えながらも母親のために家庭を支え懸命に尽くしてきたという。それにもかかわらず母親は冷たく、一度も感謝されることはなかったという。

その女性は大人になり結婚して母親の苦労が身に染みてわかるようになり一度でいいから感謝の言葉がほしいと訴えたそうだが、母親からは「長女が苦労するのは当たり前」と突き放されたそうだ。その女性は「魂が殺されたようでした」と語っていたのが見ていてとても辛かった。(ちなみにその女性は現在は詩を書くことによって苦しい気持ちに囚われている状態から解放されて前向きな気持ちを綴るまでに心が回復したそうだ。)

 

親子関係以前に人間として礼儀に反していないか

冒頭部分をくりかえすが、親の中にはどういうわけか意地でも子供に感謝や謝罪が出来ない人が一定数存在している。表面的な、それこそ形だけの言葉すらないのはさすがにおかしいと思う。ものすごく極端な話、感謝の気持ちなんて1ミリも込められていなくてもいいのだが、そんな形だけのことも出来ないとなると人間同士のやりとりとしてものすごく失礼なことをしているのではないだろうか。考えてもみてほしい。たとえ親子であろうが、社会的な人間と人間のやりとりである。大人にもなってまともにお礼の一つも言えないのは親子だとか血縁だとかを抜きにして礼節に反していると思う。わが子なら無礼を働いても構わないという意識ならそれは大人として間違っている。

 

老後のために子供を『準備』している

あくまでこの記事は私の私的な見解で書いているにすぎないのだが、親世代には少なからず『自分の老後のために子供を産み育てている意識』の人間がいて、その子供たちには感謝や謝罪の概念がどういうわけか最初から存在していないと考えるのが自然だと思っている。年を取ったら住まいと食事を与えてくれて、介護もなんとかしてくれる子供を早いうちから準備しておかないと大変なことになるわけだ。言い換えるとブラック企業の上層部と社員である。社会的な集団にもかかわらず根底から破綻しているので下の立場の心を壊して壊してなんとかやりくりをしている。そんなことがよりにもよって自分の生まれ育った家庭で行われているのだ。

 

血縁関係に絶対を求めないこと

もし、ここまで読んだ方が「そんなはずはない。親子の絆はかけがえのないものだ。そんなに打算で子供を育てているなんて馬鹿げている」と思った人はたぶん親御さんがきちんと感謝と謝罪のできる誠実な家庭で育ったのだろうと思う。事実として子供を一体なんだと思っているのかという親があまりにも多いわけだが、そこで絶対的な絆や信頼を血縁関係に求めすぎると弱い立場にあるほうが永遠に傷つき続けるだけである。大人になって、もし親のしていることが『親子関係以前に人間としての礼儀に反している』と気づいたらそこそこのところで距離を置かないと危険である。大人になれば血縁よりも人間としてどうなのか?ということも十分頭に入れて接しなければならない。

 

もし親がかわいそうだと思っても

もしあなたの親が当たり前のように感謝や謝罪をできない人間だと知ったとき、それでもこの先自分が支えなければ親がかわいそうだと少しでも優しさを持っているのだとしたら、あくまで感情の一切を割り切っていなければずっと傷つくことになる。冷たいかもしれないけれど親子以前に大人であり人間である。「お礼の一つも言えないようだ相手だ。期待してはいけない」と気持ちを持っておけば必要以上に怒りや悲しみに苛まれることも少なくなると思う。どれだけ理不尽なことが続いて自分はああはなってはいけないと心に刻んでおいてほしい。

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